-2018年3月、仕事を楽しむためのWEBマガジンB-plusに掲載されました-

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-WEBマガジンB-plusインタビュー対談内容-

ジュエリーに生花など何事にも挑戦する企業

宝飾品や生花を取り扱い、さらに土木事業も展開する株式会社ファントム。国際宝飾展で同社が手がけたジュエリー「竜天ネックレス」が紹介されるなど、今、注目を浴びている企業だ。代表取締役の前田和明氏はソニー株式会社を退職後に起業するも、人の裏切りに遭い一時は路上生活を経験。まさに波乱万丈の人生を歩んできたという。どんな状況でも常にチャレンジし続ける前田社長の言葉に耳を傾けてみた。

国際宝飾展で紹介された「竜天ネックレス」

川﨑 東京都江東区を拠点にジュエリーの販売や生花店の運営、土木工事など、多彩なビジネスを展開するファントムさん。宝飾業界を代表するイベントでは、ファントムさんの商品が話題になったとお聞きしました。
 
前田 そうなんです。2018年1月に開催された国際宝飾展のレセプションパーティーで、数ある協賛品の中から弊社の「幻の輝き 竜天ネックレス」が取り上げられたんですよ。第29回日本ジュエリー・ベスト・ドレッサー賞の表彰式で紹介されました。
 
川﨑 世界中のセレブや宝飾業界のVIPが集まるイベントで注目を浴びるとは、素晴らしいですね。今日、その竜天ネックレスを見せていただくことはできますか?
 
前田 もちろんです。このアイテムは貝殻を丹念に磨き上げ、素材の持つ美しさを極限まで引き出したネックレスです。名前は、表面に浮き出た模様が竜の鱗に見えることからつけました。この世に同じ模様は2つとない、とても希少なジュエリーなんですよ。
 
川﨑 貝殻とは魅力ある素材を使ってますね。まさに「1点もの」という表現がふさわしいネックレスですよ。デザインや加工は前田社長の手によるものなのでしょうか。
 
前田 はい、私の手づくりです。貝殻を丹念に磨き続けたら、どこまで美しくなるのだろうと思い始めてみたところ、このようにキレイなジュエリーが出来上がりました。
 
川﨑 なんでも前田社長は、何事もご自分の手で行うことを大切にしていらっしゃるそうですね。
 
前田 そうですね。お金を払って人にしてもらうほうが簡単かもしれませんが、どんなことでも自分でやらないと気が済まない性格なんです。弊社は生花事業も展開しており、そのアレンジメントも私が手がけているんですよ。
 
川﨑 アレンジメントまで! ご自身の手触りというアナログな感覚を大事にする、前田社長のご経歴がとても気になりますね。ぜひ、これまでの歩みをお聞かせいただきたいと思います。ご出身はどちらなのでしょうか。

ノウハウを持ち逃げされ冬の上田で路上生活

前田 私は、炭鉱で有名な福岡県の筑豊地方で生まれ育ち、工業系の学校を卒業後、22歳で東京に移りソニー株式会社に就職したんです。
 
川﨑 ソニーさんとは、大手の企業にお勤めになりましたね。
 
前田 実はわずか4ヶ月で退職しまして。どうも、大企業に勤めるのは肌に合わなかったようです(笑)。その後は長野県上田市で起業しました。ホームセンターから不良品のパソコンやDVDプレーヤーを格安で仕入れ、修理して再び納品するリサイクル事業を始めたんです。
 
川﨑 工業系の学校ご出身の前田社長にはぴったりの事業ですね。順風満帆の船出だったのではないですか?
 
前田 ええ。パートさんを10人以上雇用するなど、事業はとてもうまくいきました。ところが、信頼していた共同経営者にノウハウや取引先を持ち逃げされてしまったんですよ。資金がなくなった私は、9月から翌年2月まで路上で暮らすことになりました。
 
川﨑 ええっ! それは大変なご経験をされましたね・・・。冬の長野で路上生活はつらかったことでしょう。それに、どうやって生活費を得ていたのですか。
 
glay-s1top.jpg前田 様々なアルバイトや、得意だったスノーボードのインストラクターで食いつなぎました。路上生活を脱出してからも、スノーボードを教えていたスキー場の倉庫や車の中で寝泊まりしていたんですよ。やがてスノーボードの生徒を通じて、地元の玩具店の経営者と知り合い、会社の倉庫に住み込んで仕事をさせていただくことになりました。インターネットで事業を広げたいというので新しい部署をつくり、業績を上げまして。その仕事で資金を貯めて、入社から2年後に再び起業したんです。
 
川﨑 さすがに独立心が旺盛な前田社長ですね。今度は、どのような事業を?
 
前田 不用品の回収と販売で全国を回りました。この事業でさらに資金を増やし、東京にも事務所を構えることができたんです。しかし、今度は実家の母が病気で倒れたと聞き、福岡へ戻ることになりまして。会社はその際に解散しました。

実家の借金を完済し土地も買い取る

前田 福岡では、1年半ほど母の看病をしていました。その際に、母が多くのものを背負いながら私を育ててくれたことを知ったんです。
 
glay-s1top.jpg川﨑 お母様の人生も、前田社長と同じくたくさんの荒波に揉まれてきたということでしょうか。
 
前田 ええ。母は私が幼い頃に父と離婚し、スナックと小料理屋をきりもりしながら育ててくれました。店を経営するために多額の借金までしていたんです。「母に贅沢をさせたい」と考え家を出て働いていましたが、その判断は間違いだったのではないかと後悔してしまいました。
 
川﨑 僕も、まだ物心がつく前に両親が離婚したので、父親のことは全く覚えていないんですよ。大阪の実家にはたびたび帰りますし、母は今も元気に飲食店を経営しています。その店でお客さんとコミュニケーションを取ることが母の元気の秘訣だと思うと、東京に呼び一緒に住むことができないですね(笑)。前田社長も、お母様の人生を知り様々な感情が生まれたことと思います。最後はどのようなご決断をしたのでしょうか。
 
前田 まず、それまでに稼いだ資金で母が抱えていた借金を返済し、実家の土地建物などのローンを全て返済しました。その後、病状が安定した母を連れて長野や東京で事業を興したんですよ。現在、母は福岡の筑豊に戻り1人暮らしをしています。今は、母が経営していた店をジュエリーの加工工房として使っているんです。
 
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アクセサリーを見せてもらう川﨑さん
川﨑 いやあ、前田社長の決断力と行動力には並外れたものがありますね。稼ぎを全てお母様のために使うなんて、なかなかできることではありませんよ。心の底から尊敬します。その後、どのような経緯があり現在のお仕事を始めたのでしょう。
 
前田 大きな転機になったのは東日本大震災ですね。その日は友人が経営する土木系の仕事関連で山形にいました。私は学生時代から地元を離れるまで、土木系のアルバイトをしていたので、重機などの資格を持っていたんです。

人生とは、チャレンジするから楽しいもの

前田 2011年3月11日、私たちは宮城の仙台で仕事をしていた仲間を助けるため出発しました。ところが、山形から仙台に続く道が雪崩で通行止めになっていたんですよ。そこで、たまたま同じ場所にいた土木業者と協力し道路の開通作業を行いました。ようやくたどり着いた仙台は、地震と津波の被害で目も当てられない悲惨な状況で・・・。仲間たちもすでに亡くなっていました。現地にいち早く着いた私たちはボランティアで復旧作業をお手伝いし、さらに土木の仕事をお引き受けすることになりました。このときに得た多くの方とのご縁が、事業を大きく広げることにつながったんです。
 
川﨑 たくさんの辛いことがあった中、今につながる出会いもあったのですね。
 
前田 はい、生花店の運営もその1つですね。「花のアレンジメントをしてみたら」と声をかけられ、試しにやってみたところ「キレイだ」と褒められたんですよ。そこで本格的に勉強し資格も取って生花店をオープンしまして。現在は、インターネットからのお問い合わせやお客様のご紹介で注文をお受けしています。
 
川﨑 なるほど。これまでのお話をうかがっていると、前田社長は「とにかく前向きに生きる」ことを大切にしておられる印象を受けました。
 
glay-s1top.jpg前田 おっしゃる通りですね。人間というのは、マイナスに考えれば本当にマイナスの行動を生んでしまいます。そんな生き方はおもしろくありませんよね。人生とはチャレンジするから楽しいもの。少しでも「やってみよう」と思ったことは挑戦するようにしています。現在、千葉県館山市にてチャレンジ中のビジネスがあります。株式会社こがね様が経営しておられる「海の湯宿 花しぶき」とのコラボ企画である体験ビジネスです。2018年2月より毎週火曜日に開催しており、「夜行貝アクセサリーの手づくり体験・宿泊プラン」に挑戦中です。詳しくは、弊社ホームページをご覧いただければと思います。
 
川﨑 そのチャレンジ精神こそが、人生に楽しさや充実感を生むのでしょうね。
 
前田 ええ。人生は楽しまなければ意味がないし、生き方がマンネリ化するのは何より嫌なことですからね。そんな生き方を防ぐためにも、考える前に行動するのが当たり前だと思います。今後も自分が先頭を切って物事に取り組みながら、信頼の置ける仲間と共に夢を追い続けたいと思っています。

「仕事を楽しむ」とは‥

不安になることがあっても、楽しむために全力で前に進むことです。「やってみたい」と思うことがあるなら、まずチャレンジしてみることが大切だと思います。あのときやっておけば良かったと、後悔する前に・・・。
<完>
上記の対談インタビューはこちらからでもご覧いただけます。